ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

他力本願の程度

滅多なことで怒らない私で有名ですが、久しぶりにカチンと来る出来事があったので、つれづれしようと。

ある案件を他組織へ引き継ぎする事案がありました。当然、自分が知らずに苦労したことを相手にさせてはならないと思い、手取り足取り業務の方法を教えてさしあげました。周りの人やモノが見えるようになってくると、自分なりのやり方やお作法を創りだして、なんとなくうまく立ちまわることができるようになるものです。

しかし、その組織のキーマンは違いました。何でもかんでも「過去の対応はどうやって…?」これだけならまだしも「こういう時はどうやって…?」という全く異なる次元の話まで相談され、それに対して何らかの答えを出すことを求められたのです。私も今の組織の端くれに座っている人間ですから、なんとか他人に迷惑をかけないように物事を調べ、調整し、引き継ぎ相手に渡していました。数ヶ月は「致し方なし」と思っていたのですが、半年以上たったいまでも同様のことをやっているような気がします。しかも、散々調べて過去の方法が違うとわかると「こんなに引き継ぎが不十分では組織の上に上げざるを得ません」なんて言われる始末。

もし仕事を相手に渡す場合、仕事を受け継いだ相手は「自分のこと」としてある程度マネジメントをするべきで、過去のことに必要以上にとらわれる必要性は皆無です。自分が仕事をする上では常に、自分で徹底的に調べあげた上でわからないことを聞くようにしています。(そんな偏った性格がこのブログを作り上げているというウワサも…)他の人全てにそういったことは求めませんが、必要以上に他力本願な性格は、後で痛い目を見ること知るべきと思う、そんな夏休み直前のつれづれでした。

大体、関係者全員をCCに入れて、1時間に30通以上もメールでやりとりするような組織がどの程度か、推して知るべし。顔を突き合わせたり、電話したり、チャットでもいいんです。今どきコミュニケーションツールなんてたくさんあるのに。社会人生活を始めたばかりの若者ならともかく、いい年&いい役職についているオジサンがこれでは困ってしまうのです。その時私はどうしたかって?メーラーを落として、締切間際の仕事に集中するようにしましたよ。本当に大事な用事があれば、どうにかして捕まえられますから。哀しいことに。(※この状況下、私はてんてこ舞いでした)

他力本願、その言葉の語源は浄土宗。もともと他力=自分以外「阿弥陀如来」のことを指すそうです。そう考えるといま世間一般で使われている言葉の意味とはだいぶかけ離れている気がしますね。