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ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

死にたいほど辛かったら、逃げればいい。

つれづれ つれづれ-ゆる~い 心の病

自らの命を殺めてしまう痛ましいことがあったりします。自分もそこまで行きかけました。友人の言葉に救われました。「逃げればいい、生きていればいいことあるから。」私も逃げ、落ち着きを取り戻せ、なんとかいま生かされています。大丈夫。

本日の駄文

先週朝の東海道線の出来事。4月の朝の電車は新社会人や学生、就職活動中の若者で立錐の余地もないほど。そんな中、窓際で必死に日経新聞を読んでいる若い女子がいました。周りのみなさんみんな迷惑。仕方がないかな、と思っていたところ、横浜駅で電車を降り際のご婦人が「満員電車なんだから、少し周りを気にしなさいね」と注意して下車していきました。指摘するタイミングの鮮やかさ、不快にさせない物の言い方、大変に勉強になる出来事でした。

 

死にたいほど辛かったら、逃げればいい。

(今回、いつにもましてネガティブ全開です、苦手な方はpass推奨で。)

 

私、根が真面目なんだと思います。言われたことをそのまま正直に受け止め、自分ならどう考えようかと咀嚼して、自分なりに答えを出そうとする。これはなにも仕事に関することだけではなく、日常生活に関しても趣味に関しても、一事が万事そんな調子なんだろうと思っています。だから、相手に対して合わせようとする気持ちが先走り、自分が疲れがちになるんだろうか、と思っています。

数年前、私はそうとう精神的に病んでいる時期がありました。会社にいても仕事が全くできなくなってしまい、次第に会社にいけなくなり、自分の居場所がなくなりました。結構無理して会社に行く機会が多くなってくると、自分では考えられないような行動をとることが多くなってきました。約束をすっぽかしたり、納期を守らなかったり。上司からの風当たりも強く、だからといって誰も助けてくれるでもなく。いまでも「仕方がなかったんだな」と思う時期だったかと思います。

精神的に追いつめられると、日常の判断力では到底出来ないようなことを考えたりします。極端な例は死と向き合うこと。普段行きている人は自分から死のうなんて考えませんよね。でも、自分なんていなくてもいいんだ、自分がいるから周りのみんなが迷惑かかるんだ、と思い始めると自分は死を考えました。勤務中のビルの屋上(30階)から飛び降りたら痛みが無く逝けるかなぁ、とか、でも飛び降りは他人を巻き添えにしたらその後の損害賠償でいろいろな人に迷惑がかかるかなぁ、とか。なんというか末期症状でしたね。

そんなとき、相談に乗ってくれた友人に本当に助けられました。彼いわく「どうせいなくなるなら、逃げればいいんだよ。誰にも迷惑かからないし、気分転換にもなるし。生きていたらそのうちいいことあるかもしれないから、死ぬのだけは止めておいたほうがいいと思うよ。」あぁそうか、逃げるのか。その言葉を頼りに、会社で手続きをしたあと、放浪の旅(のあと実家でゆっくり過ごす)という人生のリセット時間を過ごしました。数日に1回安否確認の連絡を入れることを条件に、家族もこれを許してくれ、私も電車やバスでいろいろなところに行きました。なんとなく、海を見てボーっとしたり、山を見てボーっとしたり。結果的に会社を離れる時間は数ヶ月になるのですが、こういった人生のリセット時間は当時の自分にとってはいちばん必要だったのだと思います。

リセット時間を作るには、お金も時間もかかります。場合によっては地位や名誉も捨てることになります。でも、それでも自分をつくっているのは他ならぬ自分です。生きていればやり直しがきくかもしれません。新しい考え方に出会えるかもしれません。だから、本当に切羽詰まってどうしようも無くなってしまった時。どうか現状から逃げてみることを、選択肢の一つとして持っていて欲しいです。