ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

天才の功罪

本日の駄文

どうも風邪をひいたらしく、昨日は一日寝込んでおりました。仕事上のストレスMAXであった上、本番でテンションを上げて楽器を弾いたことが敗因だと分析しています。季節の変わり目ですから、皆さんもご自愛下さいね。

天才の功罪

仕事上、大変苦労していることの理由の一つが、上司が「成功体験しか無い天才」であるということ。頭が良すぎる人は、私正直苦手です。頭がよい上に柔軟な考え方ができる人がリーダーだと尊敬できるんですが、それに完璧主義者が加わると、私は相手を「厄介者」認定しちゃうことがあるんです。

資料をわかりやすく、誰がみても完璧に意味が通るように日本語を使う。私が最近トラウマになるくらい怒られているこのフレーズ。自分がわかれば良いだけのメモも一から十までこの文句で怒られています。怒られるだけならまだしも、今後このような日本語を使わないようにするにはどのように業務上の工夫をするか。再発防止のための策をどのようにするか。どのレベルでもこの「対策」を徹底して求められるため、まるで子供が母親に叱られているような、そんな惨めさがなくなりません。

こういった天才の人、でもこれが普通だと自分で信じ、そうやってずっと育ってきたからしょうがないんです。天才の方は、自分がやってきて成功した体験を相手にも教え、そうやって実現してもらうことで自分と同じような成功体験を共有して欲しい、そう考える傾向があるんじゃないかと。しかし、相手がそこまでの能力がなかった場合、どうなるか…。私の上司は、相手に「出来ない人」のレッテルを貼り、対応する度に愚痴やため息をつき、自分は不快であるアピールをする。愛想つくのであれば、よっぽど相手にしないほうがましじゃーないか、と思うんですけどねぇ、仕方ないか、仕事ですから。でもこれ、100%上司が悪いわけでも無いと思うんです。

「天才=出来ない事がわからない」理論に至ったのは、仕事ではありません。楽器の師匠が大天才だったからです。練習曲をいとも簡単に弾けたというその師匠のレッスンは、いつだって厳しいものでした。「こんなことも出来ないのか」「楽譜に書いてあるとおりに弾けばこうなるだろう」「なぜ出来ないのかわからない」。楽器のことになると、本気で、出来ないことがわからないようだった師匠。解ろうとしないわけではないと思いますが、挫折した経験がないから、本当にわからないんだ、ということを悟ったのでした。

人間、いろいろな人がいます。できる人もいれば、出来ない人もいる。出来ない人基準で考えると面倒くさいことだってありますが、でも分かり合えることはきっとできる。それが、私が相手に合わせる人間になった一番の理由かもしれません。もし相手に合わせることができるほど自分に才能がなく、相手も解ろうとしてくれず、どうやっても分かり合えなかったら…どうするんでしょうかね、私。正直ずっとこんな感じで病んでいる自分が正直いやだなぁ。そんなココ最近の雑感でした。