ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

町山さん…。

昨夜、Twitter上でトレンドに町山さんの名前が上がっていました。内容を見たら、いままで知ってたラジオの町山さんと違う、強烈な違和感。その理由を自己分析せずにはいられませんでした。

本日の駄文

先日、ランドセルに関する話題がtwitter上で話題に上がっていましたね。京都のランドセルは「ランリック」というランドセルよりも安価なものを利用しているそうです。最近のランドセル市場は価格が高騰しているような気がしているので、それならこういった共通のかばん的なものを通学時に持たせてあげるのもいいなぁ。

町山さん…。

昨日の夜から朝にかけて、これまたTwitter上で話題に上がっている話として。俳優のつるの剛士さんと映画評論家の町山智浩さんがバトルを行っていることが非常に盛り上がっておりました。発端は、つるのさんが作った農作物を日本語がわからない何者かに奪われてしまったこと。ここに町山さんが「外国人に対する批判だ」と噛みつき、ウルトラマンや東京オリンピックの話を経由しながら、最終的に町山さんから「被害者しぐさ」という迷言が飛び出す結果となりました。(詳細はまとめサイトがたくさん立っているでしょうからそちらに譲ることにします)

町山智浩さん。私は、個人的には昨日まではそんなに悪い印象を持ってはいませんでした。むしろ、いい印象を持っていたくらい。彼は、ラジオ「たまむすび」の火曜レギュラーとしていつも15時に登場し、最近の映画について深く掘り下げながら社会情勢や映画の裏にあるメッセージなどを解説するコーナーを持っています。私は映画自体に全く興味はないのですが、映画のメッセージや社会情勢を知れる時間としては貴重かな、と興味深く話を聞いていたのでした。昨日の事件があるまではTwitter上にアカウントを持っていることも知らなかったし、さらにこういったことを容易に発言する人なのか、と思っていたので純粋にびっくりし、そして強烈な違和感を覚えたのでした。

でも。なんで私はこんなに違和感を感じたんだろう。うーん、と小一時間考えてみたのでした。そして、行き着いた結論も。

彼の思考の偏りが問題?

過去のTwitterを見ると、明らかに左寄りの思考を持っているんだなぁということが分かります。というか、徹底的に左。私は右寄りの考え方なので、まずはそこで意見が合わないだけ?という可能性を考えました。しかし、これは違う。いろんな考え方があっていいはずで、私はそれ自体を否定はしたくないからです。好き嫌いはあるけれど、その人の根っこの部分を真っ向から否定するのは違うと思うんですよね。

彼の出自が問題?

気になって、彼自身のことをWikipediaについて調べてみました。彼は国籍を変更し、今現在は日本国籍であり、アメリカのバークレーに自宅を構えています。世界に股をかけているからこそ、帰属意識が強いというか、外国人を侮辱する行為と感じたことに対して態度が気に食わなかった?いや、そんなこともないと信じたい。鎖国時代の日本ならともかく、グローバル化が進む現代において、いまどきそんなわかりやすい国粋主義者はごく少数派だと思うし、第一つるのさんはそんな話をしたいわけではなかったはずだし。(つるのさんも明言されてますしね)

彼の議論のすり替え方が問題?

つるのさんのtwitterからのリプライを最初から読んでみると、本当にただ単なるつぶやき、文字通り「tweet」だったと思います。自家菜園している人からしてみると、自分の畑を動物や天災ではなく、人間が荒らしているなんて考えるととてもやりきれない。そんな感情をなにげなくつぶやいたところに、「つるのさんは人種差別主義者だ」というリプライを返し、SNS上で奇妙なレッテルを貼ることに、正直なんの意味があるのだろう。これこそが一番自分が感じた最初の強烈な違和感。当然ながらつるのさんはいい迷惑だし、翻って町山さんもこんなやりとりで得をしないことくらい、わかるんじゃないか。と。

彼の主張を炎上ツイートに盛り込んだことが問題?

町山さんは、つるのさんに対してレッテル貼りをしたあとのやり取りで、自分の主張を展開します。(それがウルトラマンという作品だったり、東京オリンピックの開催是非だったりするのですが)ネット上でよくありがちな、相手の有名人を中傷することで独り相撲をとる炎上手法です。町山さんは映画評論界ではある程度名のしれた人だから、感性も才能も、そして(ネット界の)常識もあるものだと私が勝手に信じこんていたこと。これが私の間違いであったことが強烈な違和感の2つ目なんだろうな、と。こういったマッチポンプは、一度癖になるとなかなか止めることは難しいという話も聞きます。なんというか…。こういった人を見ると残念に思います。

信念の強さが問題?

ツイートのやり取りをしていた間にも、町山さんは彼の味方のTweetをリツイートすることで、彼自身の主張の正当化に躍起になっているフシが見えます。自分にはこんなに味方がいるんだぞ、俺がほかの誰かに成り代わって言ってやったぞ、俺こそが正しいんだ。そう言っているように見えます。Twitter上のテクニックとしては有効かもしれません。でも分かる人にはわかっているはずです。なんとなく、虚しさも感じてきてしまいました。

こと、SNS上での自分の発言は取り消しが効かないため(自分で取り消したとしても、必ずどこかで魚拓をとっている人がいると思って間違いない)、なぜここまで自分の意見を通したがるのか。それは信念があるからだと私は思います。自分はこう考える、だからこう社会に訴える。けれど、社会への訴え方を間違えると、取り返しのつかないことになる。SNSは特に。だからこそ、慎重に、慎重にならなければならない。(ネット黎明期で繰り返された「ネチケット」という言葉を胸に留め、いまでも私は言葉選び、ドキドキします。。。)

今回のつるのさんの対応は、最後にフォロワーさんに援護を呼びかけたことも含め、200点満点だったと思います。町山さんが場外乱闘を持ち込んだ時点ですでに勝負はついていたはずです。町山さん、勝敗がついたことになぜ気が付かないのか、もしくは気がついても喧嘩しなければならないゆずれない信念があるのか、もしくは本当に気がついていないだけなのか。いずれにしても残念です。

違和感がわかった上で、あらためて考えたこと

町山さんがSNSというツールで、今の時代に合った方法で喧嘩をふっかけることは別に問題ないと思います。ネットという大海原で、こういった事故は「必ずない」とは言い切れないことだから。ただ、今回の勝負でどちらの意見が支持を得るかは、大多数のみなさまがわかるはず。「被害者しぐさ」という迷言にあらわれているとおりです。

そういえば、私が改めて思い出したこともあります。町山さんも「評論家」であり、私はあまり「評論家」という職業に対していいイメージを持っていないということを。評論家をWikipediaで検索すると、批評家とも出てきます。情報に対して評論家自身の私見が入ることにより、「市井の人の意見」ではなく「その人の意見」となります。私はニュートラルな情報だけ入ればいい人間なので、評論家が出てくるテレビのワイドショーは絶対に見たくない人です。正確な情報を入手し、自分で判断したい。判断に迷ったら、自分が信頼できる人に対しての意見を求めたい。それは残念ながら、今の時代テレビに求めることは酷だと思います。(ニュース番組ではなく、ニュースショーになっている夜の番組なんかは特に)

ともあれ。今回の一件で、町山さんの人となりがわかりました。彼の言葉は、私には入ってこないであろうということを。おそらく、今後たまむすびの火曜日15時からのコーナーは今後聞くことがないでしょう。月曜日15時からの小田嶋さんのコーナーと同じように。(小田嶋さんには申し訳ないのですが、彼にもあまりいい印象を持たなかったので、月曜だけは最初から15時から別番組を聞いていたのでした。)

そして。私はメンタルがやられている今、こういったことを悶々と考えてしまうとマイナス思考だらけでやられてしまうのです。こういう時は、情報の発信源を断つのが一番。テレビなら見るのを止める、ラジオなら聞くのを止める、PCならば検索するのを止める。情報絶ちするのがいい手かも。

最後に。こういった対応を自分がされてしまったとしたならば。…思い切って環境変えるか、アカウント停止するか、逃げるか。私はたぶん強くないので、罵られたら火に油を注ぐことなく、そっとスマホを閉じるんでしょうけどね…。うーん。。。あらためて、SNSと自分との関わりを考えるいい機会になったような気がします。