ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

言葉の違いを超えていけ

はじめての、ろうの方との打ち合わせ。手話って大事だけど、いまならデジタルデバイスを駆使してもなんとかなる。いずれの場合も、意思の疎通を図れることが一番大事。

本日の駄文

昨日は、暑かった。東京では30℃予報がでていたようですが、結局何度まで上がったのでしょうか…。横浜も暑かった。外に出ると日差しが夏の始まりを感じさせるものでしたね。今年の夏は例年よりも暑いという長期予報も出ているだけに…巣篭もりが進みそうですよねぇ。

言葉の違いを超えていけ

昨日は事務所に出社しておりました。首都圏某所にある私の事務所でも、暑い1日。外に出るとき、女性が日傘をさしているのを見て「あぁ、夏だなぁ」なんて思ったりして。

閑話休題、昨日出社したのはFacetoFaceで打ち合わせする必要があったからです。そのお相手が、耳の不自由な方。全ろうではないけれど、こちらの言っている言葉はほとんど聞こえない方でした。実は私、ろう者の方とお話するのが人生はじめて。どんな打ち合わせになるのか、こちらの意思疎通をどのようにすればよいのか、いろいろ考えたものの答えは出ず。結局、相手の方はブギーボードメインで、私は共用のディスプレイにメモ帳(Windows標準アプリ)を載せて、そこでキーボードで文字を入力+必要に応じてiPadのスタイラスペンを利用した手書きでの意思疎通を図りました。

今回は私が相手の方に説明するような形で、約2時間にもおよぶ打ち合わせもなんとか無事うまくいき、終了するときに「ありがとう」という手話をされたのですが…私はその「ありがとう」すら認識できませんでした。お互いにマスクもしているから、口で「ありがとう」といっても伝わらず…。私の人生の中でも、手話は一度も登場したことなかったし…。簡単に、とっさに、自分の思ったことを表現する上でのコミュニケーションツールとして、手話ってとっても有効なツールなんだな、ということを始めて認識しました。道具もいらないしね。

同じような話として。かなり大昔、ニューヨークの方と電話会議したときも、ただただ流れてくる英語がさっぱり聞き取ることが出来ず悔しい思いをしたことも思い出しました。いま改めて考えると、手話も英語も同じようなもので、違う境遇の人間との「会話」を行うための「ツール」としての言葉なのだとすれば、、、その違いを超えて、なるべく多くの人と関わりをもてるようになりたいな、そのための一助として、相手のコミュニケーションツール(アメリカの方なら英語であるように、ろうの方であれば手話)を勉強するのも悪くないのかもしれないな、そう感じたのでした。

相手の方がもっていたブギーボード。これって本当にスグレモノのツールですよね。ぱっと書けてさっと消せる。昔なつかし「せんせい」というおもちゃがありましたが、アレのビジネスバージョンみたいな感じもして。他にも使いみちありそうですしね。