ヘ音記号のひとりごと

モノ多め、音多め。日々徒然なるままに生きていきたい。

「個人」を切り売りすることの違和感

valuやtimebankといった新サービス。個人を切り売りするその手法、どうしても違和感が拭えないのです。私がサービスを食わず嫌いしているだけかもしれませんが、こういったシステム、個人的にはちょっと苦手です。

本日の駄文

ようやく調子が上向いて行きたような感じです。ネガティブになっているときには、周りの世界に黒いヴェールがかかっているような感じがして、なにもやりたくないことが多いのですが…多少無理してでも、自分をポジティブにするための波に乗っていければいいかなと。その一歩を踏み出すのが難しいんですけどね。

「個人」を切り売りすることの違和感

先日、Valuが話題に上がりましたね。私、こういったサービスに対して関心がありません。正直、胡散臭さがあるから。食わず嫌いもあるのでしょうが、取引がビットコイン専用であったり、「疑似株式」という用語を使う割には発行者が不利益を被るケースが読み取れなかったり。事実、先日youtuberの方が大炎上していましたねぇ。

最近、今度はtimebankというサービスも見かけるようになりました。こちらは、その人の時間を10秒単位で切り売りでき、その時間で何をさせても良いし、権利を売買もできるとのこと。valuに比べて仕組みが単純であるだけに、仕組みは理解できますが…。

個人の時間を預けたり引き出したりできる「時間銀行」的なサービスは誰もが憧れを持っていると思います。昔ドラえもんにもこんな話があったっけ。私も昔はよくそんな妄想を張り巡らせていたものです。若かった頃は仕事のために時間が欲しい。体調が悪くなったときは時間が余っていたから時間を預けたい。本気でそう考えていました。ただそんなことは出来ないのが現実。自分の時間をうまくやりくりするしか無い状況で置かれている現実だからこそ、自分なりのタイムマネジメントが求められるわけで。閑話休題、「時間銀行」のサービスが憧れであったのは、あくまで「自分の時間」をやりとりできるから。別に他人が自分に時間を提供してくれても、その対価が高額すぎるとちょっと引いちゃいませんかねぇ。

会社というものに人格を与え、「法人」と呼ばせて人格を与えることで、株式会社は成り立ってきました。「法人」ができるのであれば「個人」だって同等の事ができるのではないか。Valuやtimebankはこういった考えのもとでできたサービスだと思います。ただ、リターンを得るには相応のリスクだって考慮すべき。リターンしかないと不自然さ、違和感を感じます。仮に例えば、私個人が価値提供を考える時に、相応の対価をもらえるだけの責任をもてるかどうか。。。無理だなぁ。個人的な考えかもしれませんが、個人を切り売りすることに対する違和感が、どうしても拭えないのです。

若いみずみずしい感性が得られることを目的として仕組みが作られるのであれば、こんな嬉しいことはありません。しかし。インターネットの大海原で、時として難破してもだれも助けてくれないようなリスクがあるなかで、軽々しくこういったサービスに手をだすのは早計ではないかと。現物主義と考える自分は、少々考え方が古いのかもしれませんけど。