祖父との思い出を考えると、お酒絡みの思い出が蘇ります。酔っ払ったときは大変でしたが、日中は真面目で几帳面な性格でした。わたしはそんな祖父が大好きでした。
本日の駄文
ようやく秋らしい日々が続いていますね。少しは過ごしやすくなったのですが、こう涼しなりすぎると北海道のほうが心配。まだ地震の影響が少なからず残っているかと思います。どうかご安全に…。
私の祖父
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
もうすぐ敬老の日ということで、わたしも祖父について少し振り返ってみたいと思います。
私の祖父は明治生まれ。学校の先生をやっていました。田舎の学校だったので、街にあった学校近くで飲んで、飲みたりなかったときは家まで学生を連れて帰り更に飲んで、泊めて帰ったこともあったそうです。(あれっ?高校の先生なのに、生徒を飲みに連れて帰ってきてるっておかしくない?まぁ昔の話ですら多めにみてくださいねぇ…。)
日本酒がとても好きで、毎日昼と夜に日本酒を飲むことを欠かさない人でした。どんなに具合が悪くとも、お昼にはコップ一杯。夜にはコップ2,3杯。熱燗が好きで、いまでこそ電子レンジでチンできる時代ですが、昔は「熱燗機」で熱燗を作っていたのを思い出します。
酒好きは周りでも有名で、近所の会合なんかがあるとベロンベロンに酔っ払ってまともに帰ってこれないこともしばしばありました。そのときに迎えに言ったのが、小学生だった私。祖父はさすがに孫に連れられて帰宅するのが少し恥ずかしかったらしく、なんとか意地で歩いて帰ってきてくれましたが、家についてからはそれこそドザエモン状態で玄関で眠りこけることもありました。
酒が入らなかったときは、とても健康でまともな人でした。死ぬ一週間前までは普通に食事をし、恒例の晩酌をしていたというから恐れ入ります。「なんだか調子が悪いから今日は止めておく」と酒を呑むのをやめてからほぼ一週間後に、家で眠るように亡くなりました。90歳超えの大往生でした。
祖父との印象的な思い出を考えると、それこそ酒関連しか出てきません。でも家では几帳面で真面目、趣味はテレビでの相撲観戦。ただただ真面目に生きた昭和の人間だったかと思います。おじいちゃん、元気かな。いまも向こうで毎晩酒盛りして元気でいる気がしてなりません。
いまはこんな洒落た熱燗器みたいですが、昔はもっと無骨な作りでした。熱燗を作る役目は母。もちろん温度調整なんてできなかったので、日本酒の温度確認で味見をしていたら母も日本酒好きになってしまった…というおまけつき。もちろん父も日本酒大好きなので、私も日本酒大好きです。