自分のインターネットとの関わりについての回顧録です。昔も今も、そしてこれからも、自分にとってのインターネットは夢であり、希望であると信じていたいです。
本日の駄文
本日は台風直撃予定…で、かなりビクビクしていたのですが、現在の横浜の天気は、くもり。朝方まで雨が降っていたのですが、いまはあがって少し落ち着いています。これくらいの天気の崩れで済んでよかったです。ほんと、低気圧に影響されやすい体調だと苦労しますよね…。
自分とInternet
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
文学賞という大層な感じではないのですが、本日のお題の中に「はてな20周年」というお題があったので、気軽な形で参加させていただこうかと思います。
20年前…社会人としてバリバリ?働いていた頃になります。インターネットというものが世に出始めのときは本当にセンセーショナルだったことを覚えています。当時、まだWindows98かWindows2000だった時代ですよね。WindowsMeなんていうOSも有りましたっけ。当時の会社の同期は横のつながりも強くって、いろいろとつるんで遊びにいっていたことを思い出します。そういえば、わたしも寮にお世話になっていたな。
寮の時代は、それこそ無法地帯(?)でした。無線LANなんていう技術が普及していない頃で、LANの線を窓の外に出して電線代わりにしてネットワークをつないでいたりしましたね。PCに詳しい人間はそれこそ自分でサーバを作り、寮のエアコンを真冬でも「冷房運転」させて24時間稼働のWebサーバなんか作って遊んでいました。PCゲームもそれこそいろいろ借りました。あの頃はそれこそコピーガードなんてなかった時代ですからねぇ、友人のサーバからいろいろとダウンロードして、夜が明けるまで遊んだこともありましたっけ…(もうさすがに時効ですからカミングアウトしてもいいですよね)
インターネットの世界は、それこそ当時の自分にとって翼であり、希望であり、夢がたくさん詰まっていました。いままでは片田舎のイケてないグループに属していた自分が、いろいろと世の中の情報をただで知ることができて、それを身の回りの人に対して還元することで、自分の存在意義ができるというか。自分だけの秘密にしておきたいけど、絶対これから広がっていく技術だから、この界隈の知識は習得しておいたほうが良い、そんな自信に似た確信がありました。情報処理の試験勉強をいちばんまともにしていたのもこの頃です。
そこから20年。インターネットはすでにインフラの一部となり、みなさんが共有して持てる資産の一つとなりました。それはそれで喜ばしいのですが、自分だけが甘い汁を吸えなくなってしまったことにも一つ寂しさを感じていたりもします。周りの誰にも負けないように、検索の技術だけは磨いておこうというポリシーはありますが、これもあと数年でAIが発達してきたりすると「職人芸」の世界になってしまうのかもしれませんが…。
これから20年後。世の中は一体どうなっているんでしょうか。とくに、このInternet周りに関しては、さらなるブレイクスルーがあるのでしょうか。いまはまだ想像ができませんが、20年後もなお、自分は技術の最先端を見ていたい、そんな願望はあります。たとえばIPv4からIPv6に変わる歴史的な瞬間とか、立ち会いたくないですか?自分自身の好奇心もそこまで衰えてほしくないですし、いつまででもInternetには希望を持っていたい。そう感じるのでした。